占星学の歴史④
ルネッサンスの波が押し寄せるにしたがって、天文学は人々の尊敬を集め、その一方で、占星学やその他の人文科学は勢いを失いました。
それでも多くの人々が人文科学を実践し、18、19世紀を通して少しづつその人気を回復しました。
そして、1930年にマーガレット皇女が誕生すると、占星学は再び大きな人気を取り戻しました。
この年「London Sunday Express」誌が皇女の誕生を祝うため、皇女の占星学プロファイルを掲載したのです。これが最近の新聞の占星術コラムの始まりでした。
1950年にはフランスの占星術師達が、惑星の位置と人の性質を結びつけるために、洗練された統計データを使いました。
そして他の占星学者たちがこれを応用して、人間占星学(Humanistic Astrology)が始まったのです。
占星学の歴史③
ルネッサンスの頃のことです。
ルネッサンスの時代に占星学は大きな壁にぶつかることになります。
この時代は文字の読み書きを出来る人がだんだん増えるにつれて、天文学的な情報が、一般の消費者向けに出版されるようになっていきました。
ガリレオやニコラス・コペルニクスを含むこの時代の著名人たちは近代科学への流れを作った科学の創設者でもあり、占星術師でもありました。
占星学と科学は一見簡単に結びつきそうに見えるのですが、1524年のグレートコンジャンクション(木星と土星の接近)の年についての多くの予言が実現しなかったため、天文学はその人気と信憑性を失い始めたのです。
占星学の歴史②
最も古い占星学の記録は紀元前1645年のバビロン(古代メソポタミアの都市)までもさかのぼります。
もっとも古いホロスコープ(十二宮図)は紀元前410年までです。
(十二宮図は占星術、星占いに用いる天宮図のことで、十二宮(じゅうにきゅう)とは、太陽の見かけの通り道である黄道を、白羊宮から双魚宮までの12のエリアに分割したものです)。
占星学の起源地は他にもあります。
洗練された計時を発達させ、暦を作ったエジプト。
プトレミーが影響力の大きい、占星学や天文学の書を残したギリシャ。
二人の皇帝を含む多くの知識人が占星学者であった、ローマなどです。
ローマでは彼らが法律を作り、星を基に人民の相談に載っていました。